多屋下遺跡 北杜市須玉町大豆生田地内

1)所 在 地:北杜市須玉町大豆生田地内
2)調査期間:令和3年1月~3月
3)調査面積:2,321㎡
4)調査概要:
 多屋下遺跡は塩川右岸の低位河岸段丘上、標高約460mに立地する平安時代の集落跡です(図1)。従来、この土地は遺跡が存在する可能性が低いと考えられてきたことから調査歴がなく、埋蔵文化財包蔵地に指定されていませんでした。今回、ほ場整備に先立ち試掘調査を実施しました。その結果、河岸段丘面の縁に沿って東西30m、南北約120mの範囲に平安時代(9世紀初頭~11世紀初頭)の竪穴住居跡などが発見されました。

図1 調査区遠景(南から)
(調査区は黄色□部分)

発見された遺構

図2 調査区全景

平安時代の竪穴住居跡26軒、土坑21基、ピット35基、溝状遺構3条が発見されました(図2)。

図3 25号住居出土 「×」刻書土器

 25号竪穴住居跡は本遺跡で最も古く、9世紀初頭のものです。床面からは、底部に「×」の刻書がある土師器坏が出土しました(図3)。

図4 9・18号住居跡

 9・18号竪穴住居跡は、①9世紀前半、②9世紀後半、③10世紀後半の時期の異なる3軒が重複しています(図4)。同じ場所に建て替えを繰り返し、長期にわたり暮らしていたことが分かります。

図5 15号住居跡(焼失住居)

 15号竪穴住居跡は焼失住居で、炭化材が多く出土しました。壁沿いには柱材と考えられる炭化材が中央に向かって放射状に、住居中央には屋根材と考えられる直径1~2㎝の炭化材がまとまって出土しました(図5)。樹種同定の結果、これらの柱材と屋根材はクヌギであることが分かりました。硬質で強度の高い木材を選んで建築部材にしていたと考えられます。

 今回の調査で発見された竪穴住居跡のほとんどが、一辺4~5mの方形で、東壁または北壁にカマドが設けられていました。本遺跡では、9世紀代の住居の中には一辺が2~3mと小さいものが存在し、11世紀初頭には一辺5~6mと比較的大きくなる傾向がありました。集落が営まれる中で変化する人口や経済力、役割などによって住居形態も変化していたと考えられます。
 以上の調査結果から、多屋下遺跡は9世紀初頭から11世紀初頭の集落が広がっていることが分かりました。遺跡のすぐ東側を流れる塩川は、平安時代には川底が現在よりも高く、集落の近くを流れていたと想定されます。水害等のリスクがありながら、約200年もの長期にわたり継続的に集落が営まれていたことを考えると、あえてこの土地を選んで暮らしていた可能性があります。
 令和4年度は、発掘調査報告書刊行に向けた整理作業を行っています。